青春の自作PC!フロッピーは偉大だった! 懐かしのレトロPC 座談会 其の壱
中古PC担当者が、その昔使った懐かしいレトロPCの思い出話を語ります。「懐かしい~!」と思う方も「なにそれ?」と思う方も、ちょっと覗いてみませんか?こんな時代があったんですねぇ~(*^^*)
お題は
【フロッピーディスク、DOS/Vパラダイス、Radeon VE】
です!
ドスパラ中古PC担当者 紹介
フジヤン
友人に自作の道に引っ張り込まれたクチ。
言われるがままにパーツを買って、見よう見まねで組み立てていたのが、どこをどう間違ってこうなったやら…
アラフォー。ストレージの速さにこだわる派。
すーさん
安くて速いパソコンを手に入れたいという動機でドスパラに入社。
動画やFPSやMMORPGが好きですねー。こだわりパーツは愛用のPCケースです!
クマさん
こんにちはマイコン世代です。レトロガジェット好きでM5,MSX,88,Macと動態保存中。
むしろ最先端のドスパラに居ることが我ながら謎。
まっちゃん
初めてのPCは友人が作った自作パソコンでしたね。PSOがやりたくて買いました。
今でこそ色々いじれますけど、そのパソコンが壊れるまで自分でいじったのは友人に言われるまま買ったVGAとメモリだけでした。アラサー世代。
その昔、ビデオカードは怪しいお店で・・?
まっちゃん:ビデオカードとか、今となってはもうどこにあるのかもわからないどっかの2階のお店、すごく小ぢんまりとしたお店でね。子供のころだったから安いの安いのって探してて。
すーさん:バルク?
フジヤン:ほとんど茶箱みたいな パッケージがない。
まっちゃん:ちょっと安い。
フジヤン:当時はねえ、説明もほとんどないしお店の人にも聞きづらい雰囲気があったりとか、そんな中でよくやってたなって感じですね。
すーさん:今のドスパラはみんなそうですけどビデオカードとか商品はちゃんと箱に入ってボックス品て感じですけど、私が入ったころはバルクが半分くらいでした。
一同:へぇー
すーさん:入荷の時に茶箱にビデオカードが20本くらいバーッとささっていて、それをお店の人が透明な袋に入れて、CD入れて、閉じて、ハイ一枚完成ってのがこれが入荷作業でした。やったよね?ねえ?で、プチプチの透明の入れて閉じて、そこにシリアルシールを貼って、ハイこれビデオカード、ラデオンね。ラデオンVEですね、みたいな。
まっちゃん:ジェネレーションギャップがひどい!(笑)
すーさん:当時はドスパラもそんな感じでしたよね。
クマさん:ビニール袋に入って、はいって渡されたものが3万とか4万とか。
すーさん:そう高いんですよね。まとめて来るビデオカードもみんな1万とか2万とか3万とか。よくよく考えたらすげえなって思いますね。でもそのバルクのビデオカード飛ぶように売れてましたね。
フジヤン:当時はパソコンは高いもんだって思ってたからその金額でもでも安かったですね。ナショナルブランドはウン10万でしたから、まあ1個1個のパーツが1万円ですよっていったらそんなもんか、って。
まっちゃん:たしかにパソコンて30万くらいするイメージだった 30万円でも安い。
すーさん:時代とともに値段は下がってますけど、まあ二けたはするよねって。10万以上はするよね。
人生初!の自作PC
まっちゃん:初めて組んだ自作は6万くらいだった。
すーさん:安!
まっちゃん:AMDの…
すーさん:やっぱりみんなAMD大好き(笑)
フジヤン:当時は大好きというか、安く組める、かつ速くて、となるとAMD一択だったんです。
まっちゃん:9年前くらいの話ですね。
フジヤン:今はインテルに水をあけられてる感じですけど、当時はインテルより速かったのもあったくらいで。店員も積極的にみんなAMD勧めてたよね。
すーさん:自分で買ってたからね。
クマさん:こないだね、実家の物置片づけてたらね、大学時代、20年くらい前に買ったパソコンの領収書が出てきてね。見たら『DOS/Vパラダイス』って書いてあった。
懐かしい!『DOS/Vパラダイス』当時のロゴ
すーさん:B5サイズの赤い紙の?
クマさん:ううん、その前の手書きの横長のやつだった。カタカナで『DOS/Vパラダイス』って書いてあった。何買ったか思い出してみたらね、ペンティアムの無印200MHz。
フジヤン:あー、やっぱブルジョワさんだ。
クマさん:うん、CPUだけで8万円だった思い出がある。
フジヤン:当時は安く抑えて速くしたいって思ってたから、なかなかペンティアムには手を出しづらかった。たしかに安定はするけど高い。
クマさん:速いパソコンを持っていたら何ができるか大体想像できるからここは金をかけるべきところだっていう。多分僕の中でジャッジが、その時あったんだよね。
フジヤン:速かった?安定感はインテル、スピードとコストパフォーマンス求めるんだとAMDだったと思うんだけど。
クマさん:あのね、ペンティアム200MHzが出てすぐなんてね…
フジヤン:AMDほとんど無かったでしょ?
クマさん:うん出回ってなかった。どちらかというとサイリックスとかIDTとか。
まっちゃん:もはや聞いたことがない。
クマさん:6x86とかね、あの辺だよね あの辺は後追いでMMX時に出てきた。
まっちゃん:呪文に聞こえてきた。
クマさん:互換CPU いろいろ使った覚えはあるよね。
フジヤン:私はMMXくらいの時にこの世界に入ったのでそこまで詳しくないんだけれど、ソフトウェアが同じ命令系統で動きますよっていうのが確立されたころから選択肢が増え始めて、そこからAMDとか、対抗馬っぽいがのが増えたイメージがありますね。ようやくPC-98の呪縛から抜け出した感じ。
クマさん:それまでCPUだけクローズアップされるってことはあんまりなくて。純粋にCPUが速くなれば速くなるもんだ、くらいの認識しかなかったね。その種類っていうのは、マッキントッシュと98を横断して使う人じゃないと、これとこれはCPUが違うんだっていう認識がなかった。
フジヤン:マッキントッシュと98と言えば、その頃はハードウェアとソフトウェアがセットになっていて、そのソフトはそのハードでしか動きません、っていう時代もありましたよね。今で言ったらエクスぺリアにはエクスぺリアOSが入っていて、エクスぺリア用ソフトしか動かない、っていう感じ。互換性が無い。
ゲームなんかもFMタウンズ版とPC-98版とマッキントッシュ版と、って全部分かれてたんだよね。違うの買うと動かないっていう。すごい時代だったよね。それが統一されてね。
すーさん:DOS/V規格って、ある意味画期的なことだったよね。
クマさん:その垣根を越えようとした人たちがきっと今第一線のプログラマーとして頑張ってるんだろうね。どうしても別のがやりたいとなるとプログラム打ち替えてやったりしてね。
フジヤン:今のプレイステーションのソフトをWindowsで動くようにしたいとか、そんなイメージですよね。
みんな苦労してた。フロッピー以前の保存方法
クマさん:そもそも記録媒体ってすごく高くて、フロッピーディスクも今でこそ見なくなりましたけど、その前ってカセットテープにプログラム入れてたんですよ。
まっちゃん:カセット?全然想像つかない…
クマさん:カセットに録音する専用のテープレコーダーみたいなのが1万とか2万とかして、それすら最初は買えなかったね。
まっちゃん:テープレコーダー使ってた時代があったのかー
クマさん:そうそう、その頃の雑誌にプログラム載ってたんですよね。これを打つとインベーダーゲームができるみたいな。それを一生懸命打ち込んでゲームやって、電源パチッと落とすとまた明日おなじもの打ち込むっていう…だからカセットテープに記録したい!ってなるからそれを買い揃えていくっていう時代があったね。
プログラムも機種ごとに違うから、それぞれを書き換えてやってたり。それがごく初期の僕の記憶ですかね。
まっちゃん:もはやパソコンに聞こえないんですけど。
クマさん:うん、たしかに。マイコンて言ってた。
まっちゃん:時代が…
クマさん:パソコンにカセットデッキがついてるのがあって。OSをカセットから読み込んでそれが立ち上がってくるっていう。そんな時代がありましたね。
すーさん:ハードディスクの代わりですね。
クマさん:だから、コピーするのはダブルラジカセですよ。
一同:ハハハハハ
フジヤン:ダビング!?(笑)
クマさん:その次にやっとフロッピーディスクが世間に出回った当時、
フロッピーディスクは『夢の高速大容量記録媒体』 でしたからね。
だからその頃、フロッピーディスク10枚買うとローンが組めたっていう…
1枚1,800円で、10枚で18,000円を3回とか6回とかで買ってた、って。僕の先輩が言ってました(笑)
フロッピーディスクはえーーー!すげーーー!!って。
フジヤン:(笑)たしかに、昔はパソコン起動するのにフロッピーからプログラム読ませてたよね。
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ジェネレーションギャップの激しい懐かしPC座談会。それぞれの青春時代?に使ったPC・パーツの話で盛り上がり、こちらまだまだ続きます。
次回、其の弐(そのに)もぜひお楽しみに!!
第弐弾はこちら! >>懐かしのレトロPC 座談会 其の弐(そのに)
第参弾も絶賛公開中! >>懐かしのレトロPC 座談会 其の参(そのさん)
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