レトロPC座談会に緊急企画!アスキーさんとのコラボが実現!!!アスキーの取材ということでライターのコバQさんをお迎えし、さらにパワーアップしたレトロ話に!?アスキーよりさらに濃い、【ドスパラレトロPC座談会】側から取材の様子を特別公開!!Σ(=゚ω゚=;) マジ!!
友人に自作の道に引っ張り込まれたクチ。
言われるがままにパーツを買って、見よう見まねで組み立てていたのが、どこをどう間違ってこうなったやら…
アラフォー。ストレージの速さにこだわる派。
安くて速いパソコンを手に入れたいという動機でドスパラに入社。
動画やFPSやMMORPGが好きですねー。こだわりパーツは愛用のPCケースです!
こんにちはマイコン世代です。レトロガジェット好きでM5,MSX,88,Macと動態保存中。
むしろ最先端のドスパラに居ることが我ながら謎。
初めてのPCは友人が作った自作パソコンでしたね。PSOがやりたくて買いました。
今でこそ色々いじれますけど、そのパソコンが壊れるまで自分でいじったのは友人に言われるまま買ったVGAとメモリだけでした。アラサー世代。
コバQさん:
では、始めていきましょう。昔のパーツ話を含めつつっていう感じなんですけど、1人ずつプロフィールを簡単にお伺いして、それをベースに広げていく感じにしましょうか。じゃあ、古い順で。
クマさん:
多分、僕が一番古いです。初めて触ったのが、MSXであったりとか、以前、題材にしてたM5の所持してたのは、私です。
コバQさん:
なるほど。パソコン歴何年ですか。
クマさん:
パソコン歴は、34年。1981年くらいから始めてます。初めての機種は、8801の無印ですね。
コバQさん:
分かりました。じゃあ、次はどなたでしょう?
すーさん:
私です。私が最初に触ったパソコンは、多分、中学のときですね。9801でした。
コバQさん:
9801。それは無印の9801。
すーさん:
その頃はあまり興味なかったんで。覚えてるのは、プログラムを作ろうみたいなので、作りました。確かに、16色のカラーモニターでしたね。その後、20歳の頃に、PC-9821を買いました。Windows3.1でした。何年頃かっていうと。2000年頃。1998年か、1999年ぐらい。メモリーが足らないみたいなね。4メガだと足りない!、みたいな感じでしたね。
その後、21の頃に、初めての自作PC。K6-Ⅱ。覚えてます。K6-Ⅱです。色はオレンジです。ビデオは、RAGE3Dだったかな?ハードディスクはクアンタムの5GBです。マザーボードはASUSのP5Aでした。
Windows3.0インストールディスクとマニュアル。クマさん私物。物持ち良いです。
コバQさん:
RAGE128ですか。
すーさん:
RAGE128じゃないです。RAGE3Dでしたよ。OSはWindowsの98SEでした。というところですね。その後、ドスパラに、22か23の頃入りました。Pen3から4にかけてが、一番盛り上がりました。
コバQさん:
なるほど。分かりました。じゃあ、次は、どなたでしょう。
フジヤン:
次は私です。まず、最初、触ったパソコンが、9801のVM。多分、あれ何年ぐらい?多分1988年。90年。多分、88年ぐらいじゃないかなあ。5インチのフロッピーをとっかえひっかえしながら、ロードを繰り返してたのを、すごいよく覚えてます。プリンターとかね。プリンターとか、紙、よく詰まってたなあとか。
PC-9801VM 懐かしい方も多いのでは?
コバQさん:
インクリボン付いてるやつですね。
フジヤン:
がーっと、紙の脇に穴が開いてて、よいしょって。
コバQさん:
ばりばりって、横を切るやつですね。
フジヤン:
そうですね。その後、いわゆる自作機。DOS/V機ですよね。初めて触ったのがいつだろう。多分、1996年とかそれぐらいかな。確か、人から譲ってもらったK6-Ⅱ。本当、くしくも、K6-Ⅱ。中身、ちょっと、よく、もう覚えてないですけど、ビデオカードだけが、Millenniumの200だったの覚えてる。
その後、飽き足らなくなって、初自作したのがいつだったっけ。Windowsは2000を買ったんですよ。だから、多分、2000年ぐらいかな。Meと迷った記憶があるんで。初めて自作して、そのときが、Palominoの1800+でした。
コバQさん:
パロミノ。AMD派が多いですね。
フジヤン:
当時、安く自作っていうと、やっぱり、どうしても、AMDになっちゃうというね。
コバQさん:
ちなみに、僕、初自作が、1997年で、K6で組みました。Ⅱじゃなくて、K6で。K5はすごい遅かったんですけど、K6でだいぶまともになり、K6の233メガヘルツ。
すーさん:
Pentiumの頃ですね。
コバQさん:
Pentium、そう。PentiumのMMX。MMX命令っていうのが、K6では対応してなくて、整数演算処理が、Pentium並みになったぞっていうことで、はやりました。当時、互換CPUっていうと、あと、サイリックス。すいません。その話は後にして。という形で、Athlon派ということですね。
フジヤン:
そんな感じで。Athlon派ですね。
コバQさん:
では、次は…
まっちゃん:
はい。私です。実はこのメンバーと世代が違いまして。実は、今、言ってた内容がほとんど分からないっす。初めて触ったのは、うちの姉のパソコンが、Pentium2だった記憶があります。
コバQさん:
それは、すごい新しいですね。この中では。
まっちゃん:
初めて触ったのですら、それなんです。自分のパソコンの話になると、友達が作ったパソコンを譲り受けたのが、これが高校生ぐらいのときなんで、2000年ぐらいですか。2001年とかに、友達から譲ってもらったやつが、K6かK6-Ⅱのどっちかだったんです。
友達が型落ちを、普通に俺のほうに回してくれただけなので。ずいぶん経ってから当時を振り返って、ようやくK6?とかって知っただけで、その頃はなんも知らなかったです。自分自身の自作でいくと、私、この会社入ってからしか、自作したことがないので、2007年だったかな。これも、くしくも、AMDなんですけど、AthlonⅡ、X2の5200だったかな。それで初自作ですね。自作歴で言うと、10年ぐらい。この会社に入ってからなんで。なので、私の役どころとしては、ツッコミ役でいます。それ、何言ってんの?みんな何言ってんの?みたいな。
フジヤン:
一般読者目線で。
コバQさん:
じゃあ、初めての自作について話をしていきましょう。90年代の秋葉みたいな話とか。最近より、やっぱり、自作が熱かった時期の話をするのがいいかなあと思います。
Windows 95が出てきた辺りから、みんながPCを使うようになって、DOSからWindowsに変わって、PCになって。98から、みんなPCになっていきましたよね。その後に、富士通のFMVとか、ソフトをたくさんプレインストールしてお得感を出していましたよね。
あとは98をNECがやめて、これからは98-NXとか言って。DOS/V機なんだけど、98-NXだとかって言って、やった時期ですよね。
やっぱり、メーカー製は高額だったんで、自作してみようかみたいな感じだったと記憶しています。それが、1996、97年くらいですね。当時は、いろいろ、今とメーカーもちょっと違ってたりしますし。もちろん、インテルはパソコンの黎明期から、ずっともう主役みたいなもんなんですけど。当時はインテルとモトローラー、2強でしたね。
まっちゃん:
モトローラー、そんなことやってたんだ。
コバQさん:
CPUは、モトローラーとインテルの2強だったんです。モトローラーはMacとかだったんで、結局負けてしまったんですけど。IBMと共同で、パワーPCとか作ったりとかして、失敗してしまったんです。その後、互換CPUっていうのが出てきて。互換CPUで、AMDもそうですし、今、残ってるの、AMDぐらいしかないんですけど。他に有名なのは、サイリックスとか、あと、VIAとか。
まっちゃん:
VIAは聞いたことある。
コバQさん:
あとWinChipとか、あとは、トランスメタとか。その時期に、DOS/V誌の編集者やってたんで、その辺の推移はすごく懐かしいです。ちなみに皆さん、ほぼAMD派なんですね?
すーさん:
変遷があるわけですよ。
コバQさん:
今は、みんなAMD派ではない?
すーさん:
今はもう、インテル派です。
フジヤン:
1人だけ残ってるよね。かたくなに、AMDを守り続けてる。
まっちゃん:
俺、別にこだわりはないんだけど、今、持ってるパソコンは、AMD。
すーさん:
ではAMD派ですね。
クマさん:
パソコン、AMDで、タブレットがAMDで、携帯電話は、モトローラー。
コバQさん:
もうあえて、MSX買っちゃった時点で、決まってましたよね。
クマさん:
MSXは主流じゃないんですが。笑
コバQさん:
僕もMSXユーザーだったんですけど、ファミコンがもう一時期、みんな、ファミコンを買っているわっていう中で。
クマさん:
ファミコンより先、MSXでしたね。
コバQさん:
うちは結局、ファミコンはやってこなかったので。ゲームは、もうMSXでした。MSXを持っている友達がなかなかいないので独りでポチポチやる。あとは、知らない学校の友達のとこに、なぜか押し掛けて行って、貸してもらうとか。友達の友達はみんな友達っていう感じ。
まっちゃん:
ファミコンしか分からない。 ファミコンはやってたけど。
クマさん:
そこに、アマチュア無線が加わると、そのままで一気に広がって。
まっちゃん:
広がり過ぎると収集つかないんで。
コバQさん:
パソコン通信とは別の所で、そういうので、コミュニケーション取ったりとか広げてく人は結構いましたね。
クマさん:
そうですよね。パケット通信っていうのがあってね。はんだごてで、こうやって無線機をつなげていく。
まっちゃん:
本当、好きだなあ。
コバQさん:
結構、昔のMSXとか使ってた頃の自作っていうと、本当に、自作だったんで。
回路とか自作する人、ページに、結構、あったんですよ。パソコン雑誌とかに。MSXって、カートリッジを挿せるんですけど、そのカートリッジに挿す、例えば、拡張カード作ってみようとか。
まっちゃん:
拡張カード作る?
クマさん:
拡張メモリーが、そこに挿さったからね。当時。
コバQさん:
拡張スロットがあって、いろんなもの挿せるんで、プリンターポートとかが付いてるMSXを持ってた人は、そこにガシャって挿して、そっから、今の拡張カードと一緒なんですけど、プリンターつないだりするんですが、その拡張カード作ってみようみたいな。
まっちゃん:
拡張カードは、販売してないの?
コバQさん:
買うと高いんですよ。買うと何万もするんですよ。でも秋葉で買ってくると、2000~3000円で作れるよとかっていうので。
だって、今、ハードディスクなんか、すごい、めちゃめちゃ安いですけど、初めて買ったとき、20メガバイトのやつで、14万とかですもんね。
世代が多分、一緒ぐらいだと思うですけど。
クマさん:
僕、高校のときに、ものすごくバイトをして、100メガのSCSI買いました。そのとき、SASIがメインだったんですけど、この先は、絶対SCSIだと思って、SCSIの100メガバイトを付けて、今まで使ってたやつを、もうがんがん、フロッピーから入れるんですけど、もう全然、埋まんないんですね。もう絶対、一生使えるわ、これと思って。笑
コバQさん:
いや、本当にそんな感じでしたね。だって、フロッピーディスクが、大体、1枚1メガぐらいなんですよ。2DDってやつが600キロバイトなんで。ハードディスクっていうと、無尽蔵にあるような感じがありました。
まっちゃん:
いまどき、スマホに挿さってる、microSDですら、1ギガ、ギガだよ。それでもみんな、使わないからポイって。
クマさん:
でも当時はハードディスクでも早いし、静かだし、もう大容量だし、すごかった。
コバQさん:
フロッピーなんですけど、まず、3.5はご存じかとは思うんですが、5インチをご存じですか。
まっちゃん:
いや、見たことないです
コバQさん:
5インチ。このぐらいの大きさのやつ。
フジヤン:
ぺらぺらの封筒に入ってるやつ。
まっちゃん:
知識としては、一応知ってはいるよ。でも見たことないよ。
クマさん:
あれはまだ、イメージ的には、はがきぐらいな感じじゃない。はがきぐらいに見えましたけど、その前の8インチっていうのがあって。
まっちゃん:
何に入るの?それ。
クマさん:
そのサイズのドライブがあんの。バシャって。
コバQさん:
こういう感じで、ガシャって入れるんですけど。あんまり、僕も使ったことはないんですけど、見たことだけある。
まっちゃん:
パソコンの本体の上に、そういうのが置いてあるんですか?そもそも、パソコンに使うの?
クマさん:
パソコンの周辺機器として。
コバQさん:
そうです。だから、ハードディスクのことを、よく外部記憶装置って言うじゃないですか。
まっちゃん:
外部…
コバQさん:
外部記憶装置って言うんですよ。ハードディスクのこと。なんで外部記憶装置っていうと、今、中、入ってますけど、昔は、中、入ってなかった。
フジヤン:
当時の名残り。
(WEBページを見ながら)
クマさん:
真ん中の女の人の写真を見ると、サイズが分かる。
まっちゃん:
でけえよ。レコードかなんか?。
コバQさん:
これ、ギャグかなんかに見えますけどね。だって、テレビ画面と同じぐらいのサイズだもん。両脇の。
フジヤン:
8インチつったら、タブレットの大きさの想像するよね。
すーさん:
それをバコって入れるの。
クマさん:
書き込み禁止スイッチって、3.5は、パチっと下げるじゃない。5インチって、書き込み禁止にするとき、切り欠きび所をこうやってシールで貼って。8インチの場合、書き込み禁止にするとき、はさみで、角を切るんです。
まっちゃん:
角を切る?
コバQさん:
手でやるんですよ。手で。角、四角くなってて、切り欠きがあるんですけど、5インチの場合。5インチは、親切に切り欠えてあるんだけど、シールが貼ってあって、シール貼っとけば書けるし、外すと書けないっていう仕組みなんですけど、8インチの場合は、もともと普通の四角いの中で、これ、書き込み禁止にしたいなと思ったら、一部を切る。
まっちゃん:
点線があるわけじゃなくて、自分でこれぐらいかなって切る?
クマさん:
一応、ガイドみたいなのは、あるんだけど。
コバQさん:
イメージとしては、切符って、自動改札じゃなかったとき、駅員さんがガチャガチャやってたの知ってます?ああいう感じのやつを、バシッってこう…
まっちゃん:
パソコンの話だよね、これ。笑
コバQさん:
結構、アナログなんですよね、昔の。それより前は、フロッピーも高かったんで、フロッピードライブとかも、8万とか、7万とかした時期があるんで、そのときはテープでやるんですよ。
外付けフロッピードライブ 2DD 容量720KBとMicroSD8GB。改めて比較するとスゲー
フジヤン:
こないだ、SORDのM5を扱ったときに見たあれだよ
コバQさん:
カセットテープがありまして。テープドライブっていうのが、今も使われてると思うんですけど。カセットテープで代用してて、大体、32キロぐらいのゲームを読み込むのに、5分ぐらいかかる。
すーさん:
起動するのに。
フジヤン:
散々、苦労したやつだね。
すーさん:
そこが、この前のM5につながっていく。
コバQさん:
ファックス出すときに、ピーって、ギラギラギラとかいうじゃないですか。ああいうのが、ずっと、延々、5分間。横で聞いてて。
フジヤン:
M5の特集、1回やったんですけど、そんときにずっと、延々と同じ音がしてました。ピー。ぶちって切れて、ん、とかって。止まったぞ、おいって。笑
コバQさん:
そうなんですよね。あれが、結構、ちょっと書きにくいんですけど、当時は、ああいうテープなんですけど、あれって、プロテクトとか一切掛かってないんで、普通に、ダブルデッキとかでダビングすると、コピーができた。なんかで知らないですけど、レンタルソフト屋さんみたいなのがあって。
なぜか、ダブルデッキとかも置いてあったりするんですよね、理由はよく分かんないんですけど。なんか置いてあったりとかして。笑
まっちゃん:
ご自由にみたいな?
すーさん:
ちょっと前にあったあったのが自炊屋さんみたいなやつ。
まっちゃん:
一時期、ちょっとだけ流行ったけどね。昔からあったんだ。
コバQさん:
読み込もうとすると、5分ぐらいかかるじゃないですか。途中まで行って、今回は順調かなあと思ってると、途中で、読み込みミスがあったりすると巻き戻してっていう。ていうので、ゲーム始めるまでが、結構、15分とか20分とか。
すーさん:
そうすると、そっから、自動的に再読み込みしてくれたりするフロッピーは、結構、画期的だった。どっからでも読めるしね。
コバQさん:
昔は、パソコンまず起動すると、なんかチカチカ、カーソルみたいなのが出てて、そこで、読み込むっていう命令を打たないと、読み込めなかったんですけど、フロッピーは入れとくと、勝手にフロッピーから読み込んで起動してくれるんで。っていう。そんな昔の話を聞いて、終わってしまいそうですがいいですか?
まっちゃん:
やっぱ当時の人たちは情熱をもってパソコンに触ってたんだなぁ。
コバQさん:
そうですね。パソコンのイメージってどうですか?1980年代のパソコン少年の、イメージは?
まっちゃん:
僕、生まれ、1984年なんですけど。
コバQさん:
じゃあ、ファミコンより後ですね。ファミコン、1983年です。
まっちゃん:
ファミコン自体は、小学校低学年か、幼稚園ぐらいのときに、近所の人からもらって。むしろ、コンピューターっていったら、それ。コンピューターじゃないですね。ファミリーコンピューター。ゲームっていったら、もう最初から、そのイメージだったんで、パソコンでゲームっていうのすら、もう本当に高校行かないと、全然イメージなかった。パソコンって、なんかお仕事で使うものでしょみたいな、そういうイメージ。
小学生のとき、パソコン室みたいなのあったのかなあ。そこで、結局、何ができたって、ぶっちゃけ、何もできなかった。だから、パソコンで、何かをするっていうイメージを持ったのは、はっきり言って、高校行ってから。
すーさん:
インターネットが出てから。
まっちゃん:
そうですね。俺が、それこそ、1998年とか、2000年ぐらい。
その頃で、友達は、中学生ぐらいのときから自作やってたから、それで教わりながら、ゲームできんの?。ゲームって何が?。セガサターンとかプレイステーションじゃないの?みたいな、そんな感じで。
友達がやったのを興味を持ち始めたのが、それぐらい。でも、それから、十何年、自分じゃなんもやってないから。
コバQさん:
すーさんの出会いはどうですか?
すーさん:
私は、出会い自体は、中学の頃からだったんですけど、一番、パソコンってなったのは、PC-9821を買ったの、28ぐらいの頃でした。なんで買ったかっていうと、当時、インターネットにつなげられるようになった頃だったんですよ。
まっちゃん:
それ、1900何年?何年前?
すーさん:
21年前?
まっちゃん:
だと、多分、1996年、97年。
すーさん:
そのくらいですね。確かに、そのときに、つなげられるようになって、インターネットにつなげてる人もいたんですよ。いたんですけど、プロバイダーと契約したり、いろいろあったりしないとできないので、学生にはちょっとできなくて。でも、なんかいろんなとこ見れるよっていうのがうらやましいと思って、何を思ったのか、友達がモデムを貸してくれるって言うんで、モデムを借りて、草の根BBSを始めたんですよね。
コバQさん:
あれ?何だか、急に飛びますね。笑
すーさん:
草の根BBSを始めたんです。そうすると、そこでは、掲示板っていうのがあって、しかも、無料でアクセスできるって言ったから、無料でアクセスできる、電話代だけだよって。「だから、モデム貸したげるからやってみたら」って言われて、「じゃあ、やってみる」って言って、その掲示板に書いたり、書かれたりのやりとりをするのが、一番最初のはまった時期です。
まっちゃん:
それ、パソコン自体はどこから入手したの? モデムは今、借りたって言ってたけど。
すーさん:
パソコンは、一生懸命買ったの。一生懸命バイトして買った。その頃、学生だったからね。
まっちゃん:
学生っていっても大学生?。
すーさん:
そう。何とか頑張ってパソコン買って。モデムが買えなかったんだよね。
まっちゃん:
なんで? モデムの値段って高かったの?
すーさん:
そうだね。パソコンのほうは何とかなったんだけど。モデムが高かったの。
まっちゃん:
いくらくらい?
クマさん:
3万とかしたよね?
すーさん:
パソコンが、22~23万だった気がする。
まっちゃん:
そこまでは頑張って、ためたんだけど、モデムが買えなかった。
すーさん:
そう。でも友達が貸してくれるって言って、当時、9600の、え、9600bpsの。当時、14400出てたんですけども、9600を貸してくれるっていうんで、分かりましたって。
まっちゃん:
9600bps。9kか…。今、俺の中の遅いっていうイメージでも、56Kとかなんだけど。それの5分の1。
すーさん:
でも、BBSで掲示板見るだけだったら、全然、問題なくて。そんときに、キーボードのタイピング覚えました。その後、自作PCを買ったら、もうそこからは、インターネットつなげてっていう形になりましたね。草の根自体は短かったですけど、あれが、一番面白かったですね。パソコン雑誌に、草の根BBSの電話番号が書いてあったんですよ。自分でサーバー立ててくれてる有志の。それが、日本全国なんですよ。北海道から沖縄まで。当時、名古屋に住んでたんですけど、近いとこ探して。
コバQさん:
そうですよね。全部、電話かけないといけませんでしたからね。雑誌に全国の電話番号が載ってる。そこの電話番号にかける。
まっちゃん:
かける先によって速度が違うの?
すーさん:
そういうことじゃなくて、単純に、サーバーが置いてあるのね。今、インターネットだと、プロバイダーの向こう側に、サーバー置いてあるけど、当時は、P2Pなんで、相手の自宅のサーバーに、1人が電話をかけて、そこへ書いてあるデータをダウンロードする。で、それについて書き込む。書き込んだら電話切って。今度、別の人が電話かけてくる。電話かけてきたら、そのデータをダウンロードする。そうすると、掲示板が更新されてるわけですよ。
まっちゃん:
その電話番号のリストって、自分の行きたいホームページの所では出てこないの?
すーさん:
そう。言ってみれば、ホームページが、一つの電話番号。
クマさん:
だから、今のインターネットで言うと、このドメインの、ネームサーバーの役割を、自分でやらなきゃいけなかった。
コバQさん:
IPアドレスじゃなくて、電話番号。
クマさん:
このべージを見たいから、このページのサーバーは、名古屋のどこどこにあるから、その電話番号につなぐっていう。
フジヤン:
ホームページアドレスの代わりに、電話番号がある。
まっちゃん:
それって、北海道とか、近い所って、やっぱり値段違うの?
すーさん:
全然違うよ。
フジヤン:
長距離電話です。だから、アメリカとかね。極端な話を言えばだよ。
まっちゃん:
日本国内で、そもそも、なんで電話料金が違うの?
一同:え・・・?
すーさん:
距離で違うよ。・・・知らないんだ!?
まっちゃん:
知らない。だって、3分10円じゃないの?
コバQさん:
そこまで、世代間ギャップがあるとは…
まっちゃん:
だって。さすがに、公衆電話はある世代だけど。あれ、早く切れるのはそういうことか。
コバQさん:
市内と、市外局番と、距離で値段が違ってたんです。
クマさん:
距離の上限は、160キロなんだ。そのときに知った。CCなんだけどさ。変わってなければ、160キロだな。
すーさん:
おっと、意外なジェネレーションギャップが。
コバQさん:
そうですよね。パソコンが、なんで電話につながるんだっていう感じしますもんね。
まっちゃん:
そうです。私も、理屈でしか、知識でしか知らない部分なんで。いい勉強になった。笑
フジヤン:
データも、音声も、電気信号に伝えて、変えて伝えるだけなので、原理一緒。
コバQさん:
ファックスと同じですよ。だから。ファックスって、電話番号かけるじゃないですか。ファックス番号って。かけて、Aさんのとこに送るときは、その電話番号に送るじゃないすか。それと同じで、取るときも、この電話番号かけると、そこからファックスが送られてくるイメージ。
すーさん:
しかも、古いやつとかだと、かけた瞬間、ピーガーっていう。この前、クマさんが言った、テープドライブのやつと同じ。アナログモデルと同じ原理ですね。
まっちゃん:
そういうことを気にした世代じゃない。
コバQさん:
インターネットはありましたもんね。物心付いた頃から。
フジヤン:
下手すると、もうISDNすら、知らねえみたいな。
まっちゃん:
いや、ISDNは。
フジヤン:
知ってはいるけど、使ってないでしょ?
まっちゃん:
友達は、使ってた。うちは、パソコン使ってるのが、姉だったんですけど、「月額高いから、うち契約しない」って、さっき言ったPentium2のパソコンを、ずーっと使ってて。それこそ、20年ぐらい使ってたらしいんだけど。ずっと愛着があったらしくて、ひたすら使い続けて、とうとう壊れた。
フジヤン:
よく持ったな。
まっちゃん:
20年は言い過ぎかな。OSが95で数年前まで、多分、使ってたから2010年くらいまでかなだから15年ぐらいは使ってたのかな。
俺が、ここの会社入って、自作で、一番最初に作ったマシンをあげたから。姉貴がずっと古いの使ってて、「俺、新しい、今度はインテルで作りたいから、AMDの、このパソコンあげるよ」って、あげるまで、ずっと、Pentium2のパソコンを使ってた。
クマさん:
Pentium2は、全部スロットですよね。
コバQさん:
Pentium2は、全部そうです。3が、スロットとソケットと混じってる感じですね。じゃあ、Cerelonとか知らないですね。Cerelon300Aとか。
すーさん:
300A、今でも出てくるよ。
コバQさん:
オーバークロックっていうのを、日本で、一番初めに、流行らせた製品。もっと前からあったことはあったんですけど、オーバークロック流行ったのは、あれからじゃないですか。
クマさん:
そうですね。一般的になりましたよね。一気に。
フジヤン:
安いけど、高いのに匹敵する性能を引き出すっていう、半端ない。
コバQさん:
あれより前、オーバークロックすんのも、結構大変で、基板のなんか抵抗とかジャンパーを、はんだで取って、それを、別のとこ付けたりとか、そんなのもあったな。
まっちゃん:
オーバークロックなんて、BIOS開いて、FSBがこれとか。クロックがこれとか。
フジヤン:
当時は部品いじらないと、駄目。
コバQさん:
それは、結構、最近。僕らからすると、結構、最近。
クマさん:
ですね。クロックジェネレーターっていうすばらしいチップができるCPU。
フジヤン:
はんだでする?。
クマさん:
ううん。それを、ソフトウエア的にコントロールできるクロックジェネレーターっていう部品が乗り始めた頃から、やっと、BIOSとかでいじれるようになった。
まっちゃん:
乗り始めたって、何?
フジヤン:
CPU上に。マザーボード上に。
まっちゃん:
最初から、一番いいのにしときゃいいのに。
コバQさん:
それを、下位モデル買ってきて、はんだでぴゅうって溶かして、上位モデルの位置に動かして、動くかなってどきどきしながら、動いたらもうけものみたいな。結構、難易度高かったんですけど。
フジヤン:
ペンで線引いてすむ、Athlon優秀でしたね。
コバQさん:
それが、2000年ぐらいですかね。Cerelon300Aってやつ。当時、Cerelonって、だいぶ性能が低くて、PentiumとCerelonっていうと、全然、Cerelonのが、へぼいっていう認識だったんですけど。
あるとき、インテルさんが、CerelonとPentium、中身一緒にして。一部分だけ、例えば、メモリーとか2次キャッシュの部分だけ、ちょっと削るだけ、無効にするとか。インテルさんが、コスト削減して、モデル増やすみたいな作戦を取ってたようなのがあって。
まっちゃん:
それは、今でもつながってるかな。
コバQさん:
今も、多分、そこは一緒なんですけど。中身一緒じゃん。じゃあ、Pentiumぐらいまで速くなんじゃんみたいなの思った人がいて。
フジヤン:
考えたやつ偉い。そいつは本当、天才。笑
コバQさん:
やったら、すごい上がるんですよ。300Aだから、300メガヘルツなんですけど、600メガヘルツとかになるんですよ。
まっちゃん:
今の3ギガが、6ギガになるみたいな。
コバQさん:
そうなんです。ただ、冷却とかも、結構、考えなきゃいけないから、スロットで、ガシャって入れてあるんですけど、ここになんか、これ自体、このぐらいちっちゃいんですけど、これにすごいでっかいの付けて。
すーさん:
横に、こんな長いね。
コバQさん:
横に、こんな長いの付けたりとか。あとは、ロットによって、結構違うんで、何周の何番が何メガヘルツまで行ったみたいのが、ネットとかに上がると、みんな、秋葉とかうわあって行って、何百の何番ありますかみたいな。
フジヤン:
取りあえず、全部出して見せてもらえますかって、一番奥から。ガーッ。刻印見ながら、うーんとか。
まっちゃん:
それは、俺がCore2売ってた時も、とか、産地とか、年代とかを、指定してくるお客さんは、いた。多分、それが。
フジヤン:
名残り。
コバQさん:
そうです。名残りです。今のパソコンショップとか、パーツショップの店員さん、すごい親切なんですけど、当時の店員さん、全くもって、親切な人はほぼいなかったんですよね。笑 あるだけです。勝手にすれば?ぐらいな感じで。分かってる人だけ、みたいな感じがすごいあったんですけど。
今は結構みんな親切ですよ。パーツショップの店員さん。
まっちゃん:
最初から書いてあるときありますからね。中古とかやってると。これ、オーバークロック耐性高かったです、みたいな。
座談会風景。みんな楽しそうー笑
コバQさん:
という、ちょっと、ここまで意外に時間がかかって。
天の声:
まだ、1時間ですね。2時間取ってありますから、好きなだけ。
コバQさん:
そうですか。お題を、ある程度絞り込んでいったほうが。話が終わらない気が…笑
クマさん:
どこまでも、どっちの方向にも伸びますよ。
コバQさん:
まだ、だってパソコンとの出会いぐらいしか語られてないですよ。
まっちゃん:
ある意味、これ、平常運転でやっております。
コバQさん:
じゃあ、フジヤンの思い出はいかがですか?
フジヤン:
一番、思い出深かったのは、自作するにあたって、調べた媒体が本だったっていうところが、多分、一番思い出に残ってますね。もうインターネットなんてない時代。しかも、自分はまだパソコンがないとか、古いパソコンとつなげられないとか。
すーさん:
その当時、雑誌は何冊も買ってた。
フジヤン:
雑誌とか、あと、当時、自作の本、いわゆるムックみたいな、二千円くらいの。
カラーのA4サイズくらいで、300ページぐらいの本があるんです。
コバQさん:
そう。組み方から、主要パーツの一覧みたいなの載ってるような本を、各社が出したんですけど。
フジヤン:
そう。それを見ながら、こうなんだ。ふーん。これがいるのねっていうふうに調べて、組んだのが、一番思い出に残ってる。
まっちゃん:
それは、何を組んだの?
フジヤン:
それは、自分で初めて自作した1800のPalominoのとき。
すーさん:
最初から自作で来たの? いきなり自作だったの?
フジヤン:
最初は、人からもらったパソコンだったんですよ。ただ、あんまり、そんときカスタムとか何もしてなかったんで、人から言われて、「このパーツ付けたらいいよ」って言われながら付けた。ただ、それを付けたのが自分じゃなかった記憶があるんですね。
もらったのは、自作PCだったんで、そんときによく分からんながら、うーんって。ちょっと、やってるうちに、だんだん、あんなゲームをやってみたいとか、あんなこともやってみたいって話になってくると、性能不足になってきて、じゃあ、作るかって。でも、もう作るにしても知識がないから、まずは学ばないといけないよねって本を買って。それをひたすら読んで、分かったって言いながら、秋葉原に行って、最初、パーツを買った。
コバQさん:
そうですね。初めて買うときって、結構、緊張しますよね。
だって、1個、何万もするやつをバラバラに買って、相性とかで動かないとか書いてあったりするから。
フジヤン:
そう。ただ、当時、私がやった頃っていうのは、もうキットが出来上がりつつあった時代ですよ。
クマさん:
それ、何年ぐらい?
フジヤン:
2000年ぐらいか。いや、パーツばらなんですけど。組み合わせのある。
コバQさん:
パッケージで。何とかセットみたいな?
フジヤン:
何とかセット。メモリーはこれで、何々で。OSとか、なんか微妙なところで選択するような。あと、メモリーとかをちょっと増やすかどうか。まさに本当、今、カスタマイズ。
すーさん:
おススメセットみたいなやつだよね。
フジヤン:
そう。だからそれを買った。1から選ぼうかなとも思ったんだけども、よう分からんし、最初これでいってみるかって、買った記憶がある。当時、どっかに出掛ける途中に買おうかと思ったんだけど、出掛けられなくなって、ケース持って、パーツ持って、うーん、重い。こんな、かさばるんかあ!と思いました。
コバQさん:
その後、パーツショップで、ショップのスタッフさんが選んだパーツで組んだ、組んでまでくれちゃうようなやつとかが出てきて、今のいわゆる、ホワイトボックス系のダイレクトPCのはしりみたいな感じになりましたよね。
フジヤン:
はしりです。そんときに、それで組んだんで、そうですね。やっぱり本で見てっていう、その過程のところが、一番ね。
まっちゃん:
その頃、2000年くらい。クマさんは、もう既に国内にはいなかった?。海外で、どんなパソコンを触ってたの。
クマさん:
海外にでかい荷物とか嫌なんでパソコンは持っていかなかった。向こうで、部品集めて作ったりね。中国にいたときに、ショップへ行って、これとこれとこれとこれちょうだいって、あと場所貸してっ言って、その場でがあっと組んで持って帰ったら、ショップの人と仲良くなって。よく街に遊びに行くと、いつもそのショップに遊びに行くようになって、いつのまにか、そこ手伝ってるみたいな。笑
まっちゃん:
なんかギャップってあった? どっちのほうが早いとか、どっちのほうが遅いとか。
クマさん:
ハイテク物は、断然、日本。ただし、ローテク物の一番下の値段が、日本では考えられないような値段で売ってた。
まっちゃん:
それって具体的には?。
クマさん:
その時期ちょうど2000年ぐらい。例えば、日本でPCケースをパーツで買おうってなると、大体、9800円、特売で、8800円が下限かなっていうところで、中国では一番安いのが大体、800円、1050円でみたいな。そうか。パーツ屋さんのケースって、こんなにもうかるんだと思って。
まっちゃん:
具体的に、CPUで言うと、何買ったとか、組んでたとかって、記憶に残ってる?
クマさん:
あの頃、何、組んだっけなあ。VGAは覚えてるんだ。SiSの315、入れた覚えがある。
まっちゃん:
それ、日本で言うと何年ぐらい? 同じぐらい?
コバQさん:
いや。時期はほぼ一緒ですけど、SiSを選ぶってのがまず…
クマさん:
カウンターストライクが動けばいいやと思って。
フジヤン:
そこで、SiSなんだよ、なぜか。
クマさん:
そういうマーケットだから、ブランド物は、偽物が多いんですね。でも、SiSってブランドにそれほど価値がなかったから、偽物が出回りにくいメーカーだった。
コバQさん:
確かにそうですね。当時で言うと、マトロックスとか、ATIとか。
クマさん:
GeForce256とか。
コバQさん:
256は、あったくらいですかね。
すーさん:
その前はRIVA128やTNT
フジヤン:
GeForce2入れた記憶があるんで。
すーさん:
GeForceの快進撃が始まる、一番、その登り辺りのところ。
コバQさん:
他にも昔は、Matroxっていうすごい大人気な会社が、今も、一応、あると。
まっちゃん:
昔の同僚に、そこの熱狂的な信者がいて、一応、名前は知ってたんですけど。でも、俺、売ってるところほとんど見たことないんだけどっていう。
コバQさん:
画質が一番良いとかですね。
まっちゃん:
色がすごいきれいだって言ってた。
すーさん:
アナログ最強。
コバQさん:
アナログ最強とか言われてたんですけど、デジタルの時代がね。だんだん、ATIか、さっき言った、NVIDIAになってきちゃって、NVIDIAはNVIDIAで残ってますけど、ATIは、AMDになっちゃったんで。
まっちゃん:
NVIDIA、昔から有名じゃなかったんだ。
コバQさん:
あと、C&Tっていうのがあるんですけど、チップス・アンド・テクノロジーズっていう。あれは、インテルに買われちゃったんで、インテルのグラフィックス。その辺のが。2000年頃に、いろいろ業界再編。
すーさん:
確かに、その頃、ビデオカード見ると、チップセットいっぱいありましたよね。前の店長が、すごいナンバーナイン大好きで、Revolution3D、超好きとか言って、集めてました。懐かしい。
まっちゃん:
ビデオカードってって集めるもんなんですか。笑
すーさん:
そう。コレクション。手に入らなくなる前にって。♯の9って書いて、ナンバーナイン。
普通はシャープキュウって読むよね。
コバQさん:
店とか行って、♯9(ナンバーナイン)くださいって言わないと、なめられた。買わないほうがいいと思いますよ?みたいな。
フジヤン:
名前知ってるぐらいの人じゃないと使いこなせないっていう。
すーさん:
相性、どぎつかった。
フジヤン:
本当、当時の自作業界って、不親切でしたね。買わないほうがいいと思いますよって。門前払い。笑
すーさん:
だから、ユーザーが育っていくわけですよ。ユーザーのプロ化を助けた。
フジヤン:
それで、SiSのカードを買ってカウンターストライクを。
クマさん:
カウンターストライクをやるために作ってましたね。
コバQさん:
あの、クマさんって、ちなみにどういう経歴なんですか?
まっちゃん:
すいません。ちょっと、海外に行ってたって話、突然過ぎましたね
コバQさん:
まず、じゃあ、ドスパラさんに、入られたのは。
まっちゃん:
実は、この中で一番若いんですよ。ドスパラに入ったのが。
クマさん:
ドスパラに入ったのは、1番あとなんですよ。10年たってない。9年目。
コバQさん:
その前に、いろいろ海外渡り歩いてた?
クマさん:
そうですね。そこまでいくまで、ちょっと、まだいろいろあって。家電量販、某ディスカウントストアで、電気担当をやって、その前に、自営業でジャンク屋をやっておりまして。
その前に、しばらく、バックパッカーをやっておりまして。その前は、学生。大、高、中、小っていう感じですね。
まっちゃん:
さっきのは、バックパッカー時代の。
クマさん:
バックパッカー時代の、中国行ってたとき。
コバQさん:
バックパッカー時代は、中国以外もいろいろ行ってらっしゃった?
すーさん:
中国以外のパソコンの思い出ってなんかあるんですか。バックパッカー時代。
クマさん:
カナダで、頼まれたパソコンを作って、部品を買った後に、大雪になって、バスが全部、足が全部止まって、その荷物を持って、10キロぐらい、大雪の中。
まっちゃん:
パソコン自体の思い出じゃない!めっちゃ重かって、大変やったなあって。それのパソコンは、無事動いたの?
クマさん:
動いた。それが、Cerelonの300Aだった。
コバQさん:
300Aの思い出。
すーさん:
思い出は重かった。雪の中、寒くて重い・・・おかしいな。話がずれた。笑
コバQさん、さすがお詳しい!ドスパラ座談会メンバーと懐かしい自作の話がさらに盛り上がってまいります!アスキーではカットになった話も登場?さらに次回、後編に続く!
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